第二次世界大戦末期に、旧沖縄県立農林学校の校長であった渋谷秀雄先生が、書き残した日記と方言メモ、エッセイの原稿をご遺族の了解のもとに活字化したものです。
日本軍がサイパン島で玉砕した昭和19年7月、本土決戦を見据えた持久戦の防波堤として、沖縄に多くの兵が送られてきました。軍に学校校舎や寄宿舎を接収され、また様々な物品が徴発され、生徒たちも戦争準備を強いられることになったあたりから日記が始まっています。そして翌年の7月、隠れていた山を下りるまでが書かれています。
どこに対しても忖度のない民間人の記録は、大変貴重なものです。編者の手塚様は、手書きの文を読み解き、その時の背景を調査して書籍化することにしました。
戦後80年を経て当時の記録も記憶も薄らいでいる中で、このような資料を残して下さった著者・ご遺族・編者に感謝いたします。